街道をゆく (9) 信州佐久平みち、潟のみちほか
読み:しんしゅうさくだいらみち、かたのみち
ジャンル:紀行文
収録:潟のみち/播州揖保川・室津みち/高野山みち/信州佐久平みち
内容
農業というのは、日本のある地方にとっては死物狂いの仕事であったように思う。耕シテ天に至ル。貧ナルカナ――この有名なことばは、明治中期に日本にきた清国の政治家が、瀬戸内海を汽船で神戸へむかいつつ、内海の島々の耕作の状態をみて驚嘆してつぶやいたことばである
印象に残った一節
亀田郷では、昭和三十年ごろまで、淡水の潟にわずかな土をほうりこんで苗を植え(というより浮かせ)、田植えの作業には背まで水に浸かりながら背泳のような姿勢でやり、体が冷えると上へあがって桶の湯に手をつけ、手があたたまると再び水に入るという作業をやっていたことを知った。
映画を視了えたとき、しばらくぼう然とした。食を得るというただ一つの目的のためにこれほどはげしく肉体をいじめる作業というのは、さらにはそれを生涯くりかえすという生産は、世界でも類がないのではないか。
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私は十年ほど以前から、日本の社会を混乱させているのは土地制度ではないかと思ってきた。一億人の人間が土地を投機の対象と信じていること自体、経済的狂人の社会というほかないと思っていたし、産業家や商品の問屋や林業家が本業よりもそれをころがして儲け、また土地をころがすことであらたな政商が成立し、政治家が受動的もしくは能動的にそういう病的な政治行為の構造の中心に居るようになっては資本主義というようなものでさえないと思うようになっていた。
農業はこういう病的な社会に巻きこまれて、一坪三十万円というような地価の上に、一本百円の大根を育てざるをえなくなっている。というようなことが正統な経済行為であるはずがなく、そういう行為の上に成立している働く気持ちというのは、荒廃せざるをえないのである。
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平清盛は、経世家としては、頼朝以上だったであろう。かれは海運をさかんにし、対宋貿易をもって立国しようとしたという点で、日本最初の重商主義の政治家だったといっていい。頼朝は農地問題の累積した不合理性をただすという旗幟をかかげ、清盛は公家による農地支配体制を温存したまま商業と貨幣経済を興すことに賭けた。
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戦術の本道は、戦う前に敵を圧倒できるだけの兵力・火力・兵糧を集中することだが、ただし軍事における日本美はそれとは異なり、寡をもって衆に勝つという曲芸じみたものをもって正統とする風があった。が、そのくせ明治以前の戦史ではその好例はすくなく、せいぜい源義経、楠木正成、それにこの真田昌幸の例があるくらいである。
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商業主義というのは本来、もっとも質のいい文化と売り買いの快適な仲間関係を生みうる可能性を持っているが、ただ残念なことに、それには高度の良心を必要とするのである。
















