竜馬がゆく





読み:りょうまがゆく
主な登場人物:坂本竜馬
ジャンル:歴史小説
時代:幕末
巻数:1~8

明治維新の原動力として活躍した坂本竜馬の劇的な生涯を描いた長編


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内容
(一)「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟はいった。坂本竜馬は幕末維新史上の奇蹟といわれる。かれは土佐の郷士の次男坊にすぎず、しかも浪人の身でありながらこの大動乱期に卓抜した仕事をなしえた。竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く長編小説全八冊。
(二)黒船の出現以来、猛然と湧き上がってきた勤王・攘夷の勢力と、巻き返しを図る幕府との抗争は次第に激化してきた。先進の薩摩、長州に遅れまいと、固陋な土佐藩でクーデターを起し、藩ぐるみ勤王化して天下へ押し出そうとする武市半平太のやり方に、限界を感じた坂本竜馬は、さらに大きな飛躍を求めて、ついに脱藩を決意した。
(三)浪人となった竜馬は、幕府の要職にある勝海舟と運命的な出会いをする。勝との触れ合いによって、かれはどの勤王の志士ともちがう独自の道を歩き始めた。生麦事件など攘夷熱の高まる中で、竜馬は逆に日本は開国して、海外と交易しなければならない、とひそかに考える。そのためにこそ幕府を倒さなければならないのだ、とも。
(四)志士たちで船隊を操り、大いに交易をやり、時いたらば倒幕のための海軍にする――竜馬の志士活動の発想は奇異であり、ホラ吹きといわれた。世の中はそんな竜馬の迂遠さを嘲うように騒然としている。反動の時代――長州の没落、薩摩の保守化、土佐の勤王政権も瓦解した。が、竜馬はついに一隻の軍艦を手に入れたのであった。
(五)池田屋ノ変、蛤御門ノ変と血なまぐさい事件が続き、時勢は急速に緊迫する。しかし幕府の屋台骨はゆるんだようにも見えない。まだ時期が早すぎるのだ……次々死んでゆく同志を想い、竜馬は暗涙にむせんだ。竜馬も窮迫した。心血を注いだ神戸海軍塾が幕府の手で解散させられてしまい、かれの壮大な計画も無に帰してしまった。
(六)幕府を倒すには薩摩と長州が力を合せれば可能であろう。しかし互いに憎悪しあっているこの両藩が手を組むとは誰も考えなかった。奇蹟を、一人の浪人が現出した。竜馬の決死の奔走によって、慶応二年一月、幕府の厳重な監視下にある京で、密かに薩長の軍事同盟は成った。維新への道はこの時、大きく未来に開かれたのである。
(七)同盟した薩摩と長州は着々と討幕の態勢を整えてゆく。が、竜馬はこの薩長に土佐等を加えた軍事力を背景に、思い切った奇手を案出した。大政奉還――幕府のもつ政権をおだやかに朝廷に返させようというものである。これによって内乱を避け、外国に侵食する暇を与えず、京で一挙に新政府を樹立する――無血革命方式であった。
(八)慶応三年十月十三日、京は二条城の大広間で、十五代将軍徳川慶喜は大政を奉還すると表明した。ここに幕府の三百年近い政権は幕を閉じた。――時勢はこの後、坂を転げるように維新にたどりつく。しかし竜馬はそれを見とどけることもなく、歴史の扉を未来へ押しあけたまま、流星のように……。巻末に「あとがき集」を収む。

印象に残った一節

(いい気なものだ)
あれでは、まるで恵んでやったようなものではないか。こちらがああいう与えかたをすれば、以蔵でなくても、当然、犬が食物を恵まれたような態度をとるしかない。
(金とは、むずかしいものだ)
正直なところ、うまれてこのかた金に不自由したことのない竜馬にとって、これは強烈な経験だった。あれだけの金で大の男が犬のように平つくばるとは、はじめ考えてもいなかった。

(桂は桂、おれはおれだ。桂とちがってもともと晩稲のおれはまだまだ学ぶべきことが一ぱいある。とりあえず、剣術だ)
とおもった。
(強くなろう)
とも思った。自分を強くし、他人に負けない自分を作りあげてからでなければ、天下の大事は成せまい。

「世の中は一にも金、二にも金じゃ。うちの親父もわしもわずかな賄賂がなかったために庄屋の鼻薬におどらされた郡代役所にとらえられたのじゃ。世の中は金で動いている。詩文や剣では動いちょらん。わしは将来日本中の金銀をかきあつめて見するぞ」(岩崎弥太郎)

餅が、出た。
竜馬がたちまち一皿たいらげると、例の武士が気の毒がって、
「もう一皿いかがどす」
と、取りよせてくれた。
「頂戴します」
「どうぞ、沢山」
「ふむ」
われながら、わが身が哀れになった。これでは、餅で用心棒に傭われたようなものである。
(なるほど金とは大事なものじゃ。うかうかすると、三文餅のかわりに命を渡さねばならぬことになる)

竜馬は、教育者に不信の念をもっていた。幼少のころ、こりている。かれらは、他人を採点し、侮辱し、いたずらに劣等感のみを植えつける存在ではないか。竜馬は幼少のころの劣等感からぬけだすために、どれだけ人知れず悩んだか。

武士が
「やる」
というのは、命を捨てる、ということだ。腹を切れといえば松木はこの場で立腹でも切るだろう。この武士どもの異常なエネルギーが、明治維新という大史劇を展開させたのである。他国の革命とは、その点、ちがっている。

弥太郎に主義があるとすれば、徹頭徹尾、自分主義である。信奉すべきは、天皇でも将軍でもなく、自分であった。べつに我利々々の亡者というのではなく、弥太郎自身、この広い世の中で、岩崎弥太郎ほどすぐれた人間はいないと思っている。心中、信奉するに足ると思っているのだ。

なにを言やがる脱藩人が、という顔を、弥太郎はした。もともと弥太郎には、国事に奔走するというような興味は、かけらもない。どちらかといえば、志士づらをする武市半平太などは大きらいである。かといって、土佐藩の中で、たかが知れた出世をしようとも思っていない。

どことなく面憎いやつだとつね日頃思っているが、それとは別に、弥太郎は、自分ほど竜馬を理解している者はないと思っている。
(癪だが、おれより人間が上品(じょうぼん)だ。あいつが、おれに優っているところが、たった一つある。妙に、人間といういきものに心優しいということだ。将来、竜馬のその部分を慕って、万人が竜馬をおしたてるときがくるだろう。竜馬はきっと大仕事をやる。おれにはそれがない。しょせんは、おれは、一騎駈けの武者かともおもう)
弥太郎が、竜馬を小面憎くおもうのは、竜馬のそういう部分への嫉妬だろう。それ以外は、弥太郎は、人間として竜馬に、おどろくほど似ている。似ているから、なお、いやなやつだ、とおもうのかもしれない。

(なぜ神州かい。神というのは、日本では上古の未開人のことじゃ。未開にもどれ、ちゅうのは世の流れに反することじゃ。ああいう神がかった馬鹿者どもの理屈には、おれはなっとくできんぞ)
が、根が利口な男だ。
そういう連中とは、つきあっても議論はしない。
(宗旨の議論になるだけじゃ。世に、他宗排撃の宗旨論ほどむだなものはない)
だから、いつも愚のごとくにこにこ笑っている。

「そいつはいい」
重太郎はもう立ちあがっている。
「竜さん、敵の本陣に乗りこんで、ばっさりやるんだ。支度、支度」
と部屋をtびだしてしまった。
「あの若先生がねえ……」
藤兵衛は、感無量といった顔である。
「時勢とはおそろしいもんでございますね。あんな人のいい若先生までが、天誅々々のさわぎに浮かれていらっしゃる」

「半平太、まあ、ながい眼で見ろや」
「なにを見るんじゃ」
「わしを、よ」
竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。

「もうええ。わしァ、薩州も長州も土州も煙のごとく消えてしまうニッポンを考えちょるんじゃ」
「煙のごとく?」
「幕府もな」
あっ、とみな声を呑む。倒幕という意識はまだ土佐藩の藩士には薄かった。
「三百諸侯も消える」
ぱっ、と竜馬は煙の出る手つきをした。
「土、土佐藩が消えるなど……」
は、信じられぬことだ。信じてはならぬことだし、土佐藩士にとっては、二十四万石の土佐藩だけが世界ではないか。この気持は、三百諸侯の藩士も同様のことである。
人間の意識とは、その環境から容易に、いや絶対といっていいくらい、飛躍することは不可能なものである。

竜馬は、
「人生は一場の芝居だというが」
と、かつていったことがある。
「芝居とちがう点が、大きくある。芝居の役者のばあいは、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で、自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ」

しかし、海軍学校をつくるには、練習艦も要るし、器材も要るし、校舎も要る。とにかく、いかなる学校よりもばく大な金が必要なのである。
(金ぐらいなら、おれが集めてやる)
竜馬はこの募金に、決死の勇を賭けた。たとえば武市半平太が、藩論転換と佐幕派名士の暗殺に生死を賭しているように、竜馬の決死の相手は、
「金」
これ以上に具体的なものはない。

(わずかに他人よりすぐれているというだけの智恵や知識)が、この時勢になにになるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ)
竜馬みていた。
(しかも)
と思うのだ。
いかに一世を蓋うほどの才智があろうとも、とらわれた人間は愚物でしかない、とみている。
智者容堂は、英雄の風ぼうをもっている。
しかし不幸にも、自分の智にとらわれている。
家系にとらわれていた。
先祖の山内一豊が、関ヶ原の功により掛川六万石から一躍土佐一国二十四万石の大大名にとりたてられたのは、いつに徳川家の恩であるという感傷主義があった。
(個人なら、それは美徳だ)
と、竜馬はみる。
(しかし大藩の主人が、一国の運命、日本の帰趨を考えるとき、それが何になるか)
容堂は、そういう「美徳」にとらわれていた。そういう美徳をもつ自分に、自分で感動していたし、すべてその美徳をとおして時勢を見ようとしていた。

武士の虚栄は、その最期にある。
切腹のことだ。どうみごとに腹を切るかが、
――おれはこんな男だ。
と自分を語るもっとも雄弁な表現法であるとされた。
だから武士の家では、男の子が元服する前に、入念に切腹の作法を教える。
筆者は、日本人に死を軽んずる伝統があったというのではなく、人間の最も克服困難とされる死への恐怖を、それをおさえつけて自在にすることによって精神の緊張と美と真の自由を生みだそうとしたものだと思う。その意味で切腹は単にそのあらわれにすぎないが、その背後には世界の文化史のなかで屹立しているこの国の特異な精神文化がある。その是非を論ずるのではない。ある、ということを知るだけでよい。

京の異変を知った勝は、機敏に行動している。
竜馬に命じて、兵庫沖に碇泊中の練習船観光丸の錨をあげさせ大坂へ急行した。
「諸事、この眼で見ねばわからぬ」
というのが、勝と竜馬の行き方である。現場を見たうえ、物事を考える。見もせぬことをつべこべ言っているのは、いかに理屈がおもしろくても空論にすぎぬ、というのが、この二人の行き方であった。かれらは、すぐれたジャーナリストの一面をもっていたといっていい。

関ヶ原ノ役では、毛利家も島津家も、敗北した西軍に味方していた。
戦後、家康はその罪によて毛利家をつぶそうとした。実のところ、毛利氏は関ヶ原では一発の弾もうっていないのである。しかもその支族の吉川広家が東軍に内応しているから、所領没収は苛酷であった。ところが毛利氏はきのうまでの同僚であった徳川氏に八方陳謝し、かろうじて所領を四分の一に減らされ、城を広島から日本海岸の萩へうつされるという悪条件のもとで家名はのこされた。この拙劣さ、平身低頭一点張りの外交のわざわいであろう。
ところが、島津氏は、国へ逃げかえるや戦備をととのえて変を待った。
その一方では家臣を京へやって、硬軟とりまぜての外交を展開し、ついに徳川氏のほうから折れて出させ、一寸の土地もけずられていない。
薩長両藩の外交能力の格段のちがいが、幕末にいたって露骨に出ている。薩摩人にかかっては長州人はこどものようなものであった。
その外交能力の点では、薩摩人のなかでも西郷が群をぬいて卓抜していた。おそらくこの時期の西郷は、日本史上最大の外交感覚のもちぬしといっていいであろう。

「当節、食えぬものといえば、天下に幕府の高官ほどのものはござらぬ」
と、勝はいった。
「たがいにかばいあって、どこに権能があるのか、わからぬようにしている。老練なものでござってな、あなた」
「ハイ」
西郷は、かしこまっている。
「なかでもその親玉とすべきは、老中諏訪因幡守でありましょうな。たとえばそれがしが正論を持ってゆく。お説ごもっともでござる、と決して反対しない。反対しないから行なうのかとおもえば、けろりとしている。もし、正論が自分一個に不利益だとすると裏へまわってその人物を退けてしまう。だから、たれも正論を吐かず、直言する者もない」

西郷は、勝とのこのときの対面によって、はじめて自分の世界観、新国家論を確立させた、といっていい。
(それにしても、勝はえらい)
とおもった。
幕臣のくせに、幕府をこうも明快に否定している。
「幕府なんざ、一時の借り着さ。借り着をぬいだところで日本は残る。日本の生存、興亡のことを考えるのが当然ではないか」
「いかにもそのとおりでごわす」
と西郷はうなずいたが、内心、自分はどうか、とこの瞬間考えたかどうか。西郷はのちに西南戦争をおこしたように、終生、薩摩藩というものが脳裏から抜けきらなかった。
薩摩藩を無視して日本のことのみを考えきる、というのは、西郷のような感情の豊かすぎる性格の男にとっては、不可能なことである。
一足とびに日本を考えるなどは、かれにとって抽象論になってしまう。たとえば余談だが、二十世紀後半のこんにち、
「人類のことのみを考えている」
といえば、多くの場合、多少のうそがまじる。人類とは、まだまだ抽象概念の域を出ないからである。
幕臣勝のばあい、そこまで飛躍してしまっている。むろんこんにちの人類主義者よりも度胸の要ることだ。勝はこのため、あるいは殺されるかもしれなかった。

(妙な男だ)
駈けながら、中岡はおもった。
維新回天の業とは――と中岡は思う。同志と議論したり、京で佐幕派に天誅を加えたり、公卿を操縦したり、新選組とたたかったり、天誅組の義挙にくわわったり、蛤御門で幕軍と衝突したり、することだ、とおもっていたし、中岡や土佐浪士たちは、そういう血なまぐさい修羅場を斬りぬけ、いまもその意識のなかにいる。
(が、この男のやりかたはちがう)
薩長連合ひとつにしても、主義をもって手をにぎらせるのでなく、実利をもって握手させようというのである。生野義挙や、天誅組義挙とはまるでちがった回天の方式だった。ひどく現実的なのである。
「なるほど、竜馬、わかった」
と、馬首をならべながらいった。
「なにがだ」
「お前の行き方がだ。わしは薩長連合を考えたときに、おなじ尊王主義の両藩がいがみあっているのはおかしい、考えが同じなら一つになるべきではないか、と思い、その方角から手をにぎらせようとした」
観念や思想から入った、という意味である。
ところが竜馬は、利害問題から入ってゆく。薩長の実情をよく見、犬と猿にしてもどこかで利害の一致するところはないか、と見た。それが、兵器購入の一件である。長州もよろこび、薩摩も痛痒を感じない。そこからまず糸を結ばせた、というのは、中岡などが経てきた志士的論理からはおよそ思いもよらぬ着想だった。
「志操さえ高ければ、商人のまねをしてもかまわない。むしろ地球を動かしているのは思想ではなくて経済だ」
という意味のことを、竜馬は土佐弁でいった。

竜馬がいう。
「とにかくゆくゆくは亀山社中が百万石程度の藩の実力をつけねばならぬ。それをもって薩長を主導しつつ幕府を倒して新国家を樹立するのだ」
さらに竜馬は「幕府を倒して政府ができてもみなは役人になるな。一方では海軍を興し、一方ではこの亀山社中を世界一の商社にする、そのつもりでやれ。もっとも倒幕活動や倒幕戦をやるうちに諸君のほとんどは傷ついたり死んだりするだろう。業なかばでたおれてもよい。そのときは目標の方角にむかい、その姿勢で斃れよ」といった。みな感奮した。

筆者は、このくだりのことを、大げさでなく数年考えつづけてきた。
じつのところ、竜馬という若者を書こうと思い立ったのは、このくだりに関係があるといっていい。
この当時、薩長連合というのは、竜馬の独創的構想ではなく、すでに薩長以外の志士たちのあいだでの常識になっていた。薩摩と長州が手をにぎれば幕府は倒れる、というのは、たれしもが思った着想である。公卿の岩倉具視も思ったし、筑前藩庁に惨殺された同藩の志士月形洗蔵もそうおもいつづけてきたし、竜馬と同郷の中岡慎太郎などは、もっともそれを思った。
去年の暮、中岡慎太郎が太宰府の旅寓から国もとの同志に書き送った長文の論文があり、非常な卓説として評価されている、そのなかに、
「自今以後、天下を興さん者はかならず薩長両藩なるべし」とあり、つづいて「吾思ふに天下近日のうちに二藩の命に従ふこと鏡に掛けて見るがごとし。而して他日、国体を立て外夷の軽侮を絶つも、亦この二藩にもとづくなるべし」といっている。
すでに、公論である。
しかししょせんは机上の論で、たとえば一九六五年の現在、カトリックと新教諸派が合併すればキリスト教の大勢力ができる、とか、米国とソヴィエト連邦とか握手すれば世界平和はきょうにでも成る、という議論とやや似ている。
竜馬という若者は、その難事を最後の段階ではただひとりで担当した。
すでに薩長は、歩みよっている。竜馬のいう、「小野小町の雨乞いも歌の霊験によったものではない。きょうは降る、という見込みをつけて小町は歌を詠んだ。見込みをつけるということが肝要である」という理論どおり、すでに歩み寄りの見込みはついている。
あとは、感情の処理だけである。
桂の感情は果然硬化し、席をはらって帰国しようとした。薩摩側も、なお藩の体面と威厳のために黙している。
この段階で竜馬は西郷に、
「長州が可哀そうではないか」
と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。
あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。
奇妙といっていい。
これで薩長連合は成立した。
歴史は回転し、時勢はこの夜を境に倒幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は、三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。
竜馬の沈黙は、西郷によって破られた。
西郷はにわかに膝をただし、
「君の申されるとおりであった」
と言い、大久保一蔵に目を走らせ、
「薩長連合のことは、当藩より長州藩に申し入れよう」
といった。
大久保は、うなずいた。
締盟の日が、即座にきまった。
あすである。

竜馬は潮風に吹かれながら、
――長州に着いたら、幕府海軍と海戦せにゃァならんかも知れんな。
とつぶやいている。
(海戦!)
それが新婚生活だろうか。
おりょうは、考えこまざるを得ない。
(つきあい切れない)
と思うのだ。もともとおりょうは、お針も煮たきもできない女で、どちらかといえば行動的性格にできている。おとなしく家庭をまもるたちではないくせに、かといってこうも変転きわまりない暮らしのなかに揉みに揉まれていると、ふと人並な暮らしの楽しみに思いこがれるのである。人間とはなんと奇怪で物欲し屋で、あくことのない幸福への空腹感をもちつづけている動物だろう。

(これは。――)
と竜馬がおもったのは、長州部隊のすさまじすぎるほどの働きぶりであった。
「覚兵衛どん、みろ」
と、望遠鏡を貸した。
長州人は、たった五百人の兵で上陸しているのである。奇兵隊が主力だから、もともとの武士ではないのだ。町人、百姓の子弟である。
それが、半洋式化された小倉藩の正規武士団を、寡兵をもって押しまくっているのだ。
敵の弾雨のなかで散開し、遮蔽物を利用しつつ前へ前へと駈けてゆく。
押されて逃げるのは、代々譜代大名の家柄を誇ってきた小倉小笠原家の藩士である。
「長州が勝っちょりますな」
「いや、長州が勝っちょるのじゃない。町人と百姓が侍に勝っちょるんじゃ」
そのことに竜馬は身ぶるいするほどの感動をおぼえた。
たったいま、竜馬の眼前で、平民が、ながいあいだ支配階級であった武士を追い散らしているのである。
――革命はきっと成る。
という意味の感動と自信が、竜馬の胸をひたしはじめた。

「止戦の使者には、勝殿をおいて他にござりませぬ」
と慶喜に意見具申したのは、慶喜の腹心で策謀家の原市之進であった。原は勝という人物が大きらいだが、あえて推したのは、勝が平素、天下の過激志士とつきあい、長州にも知人が多い、という点を買ったのである。
「勝殿ならば、たとえ敵に殺されても徳川家にとって惜しい人物ではございますまい」
そうも言った。勝ぎらいの慶喜もここでうなずき、
「されば勝に行かせよ」
といった。由来、政治は悪人の仕事だというのはここであろう。

「論などはやらぬ」
竜馬は議論というものの効力をあまり信じていない。議論などで人を屈服させたところで、しょせんはその場かぎりということが多い。
「利だ」
「リ?」
「利が、世の中を動かしている。おれはまず九州諸藩連盟の商社を下関につくる」

中岡は不幸にして頑固な佐幕派が上層部を占める土佐藩にうまれ、それがため一介の浪士となり何の背景もなく天下を駈けまわらざるをえない身だが、器量からいえば、大藩にあって大藩を動かせる立場にある長の桂や薩の大久保一蔵よりは性根もすわり、人物、才幹も上なのではあるまいか。
(あいつも、生れがわるかったよ)
仕事というものは騎手と馬の関係だ、と竜馬は、ときに物哀しくもそう思う。いかに馬術の名人でもおいぼれ馬に乗ってはどうにもならない。少々へたな騎手でも駿馬にまたがれば千里も征けるのだ。桂や広沢における長州藩、西郷や大久保、五代、黒田における薩摩藩は、いずれも千里の良馬である。土州浪士中岡慎太郎にいたっては、馬さえないではないか。徒歩でかけまわっているようなものだ。
(男の不幸は、馬を得るか得ぬかにある)
竜馬にも、藩はない。しかしこの男は中岡とちがって「亀山社中」という、私藩ともいうべき馬を、独力でつくりあげようとしている。その点が、二人の行きかたのちがいといっていい。

「日和見などというものは、男として武士として最も恥ずべきことではないですか。卑怯者の上士どもの手に牛耳られているわが藩が、そこまで堕落していることは許せませんよ」
「それは四書五経の輪講の座ででも喋れ。世の動きというものはな」
と、竜馬はいった。
「筒井順慶できまるものだぞ。時勢も歴史もそうだ。新旧はげしく勝負する。いずれかが勝つ。勝ったほうに、おおぜいの筒井順慶がなだれを打って加盟し、世の勢いというものが滔々として出来あがってゆくのだ。筒井順慶は馬鹿にならん」

「竜馬、料簡してくれ」
菅野覚兵衛はいった。後藤象二郎を殺すことを、である。
菅野も石田も沢村も、竜馬がはっとするほどのすさまじい顔つきになっている。土佐郷士の上士への恨みの根のふかさはもはや異常といっていい。
(これほどまでに)
と、同国人の竜馬でさえ、たじろぐ思いでかれらの目つきを見た。
みな、化生の目である。人間の目ではない。
(二百数十年、遠州掛川からきた上士どもは土着武士の郷士を差別してきた。犬猫同然にあつかってきた。同席するのも穢れとしてきた。人間が人間を差別すると、こうも人間の血を異常にするものか)

要するに、意見が食いちがった。
後藤は竜馬のいう「海援隊」を土佐藩の支配下におこうとし、竜馬は藩と同格のかたちで提携しようとする。
が、双方とも、妥協の名人である。
「まんじゅうの形はどうでもいい。双方、舌を出して餡がなめられればいいのだ」
竜馬はいった。餡とは本質のことだ。この場合、「利益」といってもいい。

「社中に上下はない」
というのが、結党いらいの原則であった。
ついでながら竜馬の社中統御の法はつねに平等を原則とし、会計さえ公開法をとり、人件費は平等に分配した。竜馬自身、むろん例外ではない。たとえば薩摩藩から援助されている隊士一人あたり月々三両二分の金も、竜馬はみなと同額であった。
封建的階級社会に呼吸している武士の集団としては、異例であった。
おなじ浪人の結社でも、徳川体制下の治安もまもるための保守的な団体である新選組は、同志団体でありながら職階という階級で統制している。隊内を特殊な職階とその強制力で統制している点、あるいはフランス陸軍の中隊組織を参考にしたのかもしれない。

(会議などは、無能な者のひまつぶしにすぎない。古来、会議でものになった事柄があるか)
というのが弥太郎の考えだった。物を創りだすのは一人の頭脳さえあればいい。衆愚が百人あつまっても、「時間がつぶれ、湯茶の浪費になり、厠に無能者の小便がたまってゆくばかりのことだ」と、弥太郎はおもっている。その「一人の頭脳」とはたれのことか。
弥太郎にいわせれば、自分のことである。それだけの自負がある。抱負もある。しかし哀れにもこの男は小役人にすぎない。

「わしの名が?」
竜馬はいった。陸奥が竜馬の顔を観察すると、近視の目をひどくほそめている。意外なことをきくといった表情である。
「わしァ、出ませんぜ」
と、いきなりいった。
「あれは、きらいでな」
なにが、と西郷が問いかけると、竜馬は、
「窮屈な役人がさ」
といった。
「窮屈な役人にならずに、お前さァは何バしなはる」
「左様さ」
竜馬はやおら身を起こした。このさきが、陸奥が終生わすれえぬせりふになった。
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
陸奥がのちのちまで人に語ったところによると、このときの竜馬こそ、西郷より二枚も三枚も大人物のように思われた、という。
さすがの西郷も、これには二の句もなかった。横の小松帯刀は、竜馬の顔を食い入るように見つめている。

「いそがにゃァ、ならんぜよ、いそがにゃ」
と唄うようにいった。京の情勢が竜馬の足をいそがせていた。大げさにいえば歴史が竜馬を追いたてているといっていいであろう。
「おれには、こんどの仕事が最後になる」
竜馬は、近江富士の異名のある三上山を前方に見ながらいった。この仕事を終え、あとは西郷、大久保、桂、三岡らにすべてをまかせて海へもどることだけが、いまの竜馬にとってただひとつの願望になっていた。
街道は晴れていた。竜馬がゆく。岡本と藤吉が追いすがり追いすがりしながら、湖畔の野を歩いた。

竜馬は突如、中岡をみて笑った。澄んだ、太虚のようにあかるい微笑が、中岡の網膜にひろがった。
「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」
それが、竜馬の最後のことばになった。言いおわると最後の息をつき、倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駈けのぼった。
天に意志がある。
としか、この若者の場合、おもえない。
天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。
この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。
しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。

筆者は、この人物を通して、幕末の青春像をかいている。坂本竜馬をえらんだのは、日本史が所有している「青春」のなかで、世界のどの民族の前に出しても十分に共感をよぶに足る青春は、坂本竜馬のそれしかない、という気持でかいている。

竜馬は、
「自分は役人になるために幕府を倒したのではない」
と、このとき言い、陪席していた陸奥宗光が竜馬のあざやかなほどの無私さに内心手をうってよろこび、
「西郷が一枚も二枚も小さくみえた」と、のちにいった。これも、観察者陸奥のその性格からくる勝手な解釈であろう。陸奥は多分に権力仕事の好きな性格であった。さればこそそうでない人間風景に拍手するほどの昂奮をおぼえたのであろう。陸奥は人間の大小を比較するのがすきであった。だから竜馬と西郷の大小を位づけた。しかし西郷は竜馬とは別の場で計量されるべき人物で、陸奥の拍手は多分に長屋の熊さん的な快哉であるといえる。
もっともそれらの議論から離れても、竜馬の一言は維新風雲史上の白眉といえるであろう。単にその心境のさわやかさをいうのではない。筆者は、この一言をつねに念頭におきつつこの長い小説を書きすすめた。このあたりの消息が、竜馬が仕事をなしえた秘訣であったようにおもわれる。その点、西郷もかわらない。私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。人が集まることによって智恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。

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"竜馬がゆく"のレビュー

(評価:5)
竜馬について
レビュアー: shiba-ryo
2010-04-07
司馬遼太郎はこの作品の主題を"事をなす人間の条件"は何か、を考えることだと語っている。

勝海舟や横井小楠らは竜馬の思想面での先輩だし、また大藩の上層部ならば、徒手空拳の竜馬には到底手の届かないような政治、経済の基盤をもっている。


であるのに、竜馬がもっとも大きな"事"をなし得た。


そしてあとがきでは、その条件とは、つまるところ"無私の心"にあるのではないか、と述べている。


確かに竜馬以外でも、西郷隆盛、大久保利通、中岡慎太郎、吉田松陰など、何事かをなした人物は、皆私心を無くし、公に殉ずるという精神の持ち主である。


"無私の心"。

こればかりは、ビジネス書や技術書を何百冊読んでも得られないもので、自己を律し、鍛錬してゆくことで身につけてゆくしかない。

そして皆が私利私欲を優先させる現代社会において、"無私の心"ほど得難い属性もない。

そうした我々が持ちえない、しかも巨大で包容力のある"無私の心"をもって事をなした竜馬に対し、強いあこがれや希望の念を抱くのではないかと思う。




そしてもうひとつ。
これは自分の好みになるのだが、竜馬の客観的・合理的な思考に強く惹きつけられる。

人は普通、所属する地域、団体、性別、年齢など様々なものにとらわれており、がんじがらめの固い頭になっている。(それを秩序とも言うが)

が、竜馬は何ものにもとらわれず、人の考えが及ばないようなことをする。まるで幼児のように自由な思考を持っている。

その頭脳から、自分たち凡人が到底できないようなことを考え、行い、成し遂げる。その姿に強烈にあこがれる。


特に思うのは「論より利」の思考。

初めて読んだときに衝撃だったのが竜馬流の「論より利」の考え方だったけれど、5年ぶりに読んだ今回も印象的だった。

日本人は通弊として独善的な観念主義に走ることが多いが、竜馬はそれを超越し、徹底して合理主義を貫いている。

この日本人離れの竜馬の存在は、本当に奇蹟としか言い様がないと思う。


戦後60年。
昨今竜馬ブームといわれている。
腐り始めている今の日本社会を、竜馬が今一度"洗濯"してくれることを、密かに願っているのが表面化したものかもしれない。

今後時勢が竜馬を必要としたとき、二十一世紀の竜馬はあらわれるのだろうか。

こればかりは天の意志にゆだねるしかないのかもしれない。

そして願わくば、二十一世紀の竜馬のなす仕事を、陸奥陽之助のように間近で見てみたいと思う。
(評価:5)
はじめて司馬遼太郎の本を読む若い世代の人にはいいかも?
レビュアー: うっちん
2005-11-12
星5つにしましたが、私はまだ一度しか読んでないし本当の意味でどれだけこの本がすごいかは理解しきっていないかもしれません。でもこの先どんなに人生経験をつんで、もっとこの本を何度も読み返し、以前より深く理解するようになってもずーーっと5つ星でありつづけると思います。

小学校卒業後に海外へ移住してしまった私には日本の硬い歴史小説を読むのは少し辛い気がいつもしていました。でもいつか司馬遼太郎の作品は読みたいと思っていた。そんな私が最初に選んだのは「竜馬がゆく」でした。なぜって竜馬のことはあまりにも有名すぎたし、幼い頃はアニメ「お~い!竜馬」なども見ていたので、わりと良く知っている人物が主人公の小説から始めてみうようと思ったわけです。

結果は大成功、面白くて面白くてだーーっと一息に読んでしまいました。 このレビューは初めて司馬遼太郎の本を読もうとする若い世代にむけて書いてるつもりですが、「竜馬がゆく」は竜馬が主人公ながら所々竜馬から話しがずれて他の武士の話がつけ足たされたりしています。 もしも最初にそういった箇所を読むのが辛かったらそういったページは抜いて読んでもいいと思います。後々に読み返した時にそういった箇所もだんだん読むようになりより深く楽しめるようになると思います。 本を読む忍耐も時間もない、歴史もあまりくわしくない、そんな私がどうやって最後まで読めたかっていうとそうやって読みました。

その後は一息をついて短編集にしぼりました。それも幕末の話や維新後の話にしぼりました。「あ~、そういえばこの登場人物は竜馬がゆくにでていたなー」とか「竜馬の死後にこうなったのかー」などと思い、自分で段々と作品と作品の間にある繋がりを意識するようになり、そうやって司馬遼太郎の世界が広がっていきました。

ちなみに自分の場合は桂小五郎(木戸孝允)が気に入ったので、竜馬がゆくの後は彼が登場してくる作品を中心に読み始めました。

直接「竜馬がゆく」に関するレビューではなく、どうやって司馬遼太郎の本を読み始めるかみたいなレビューになってしまってすみません。これから司馬遼太郎の本を読みたいけど難しそうと躊躇している方々に役立ちますように。
(評価:5)
日本史上の奇蹟から学ぶ
レビュアー: shiba-ryo.com
2005-05-15
この本を読み、今自分たちが生きているこの社会の土台はすべて竜馬が作り上げたものだということ、そして竜馬という人間の生き方に対し深い感動を覚えました。司馬遼太郎も言っていますが、坂本竜馬という人間はまさに日本史上の奇蹟であり、この奇蹟から学ぶことは計り知れないほど大きいと思います。

近年、欧米のビジネステクニック本などが持てはやされており、自分自身そういった本を数多く読んできました。ですが、この100年前の一人の日本人についてかかれた小説からは、それよりもっと大きな、人間の本質的な部分について学べたと思います。

これからもたまにこの本を読み返し、竜馬の生き方を参考にして男子一生の事業を成し遂げられるよう頑張っていきたいです。


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