街道をゆく (5) モンゴル紀行





読み:もんごるきこう
ジャンル:紀行文
収録:ハバロフスクへ/イルクーツクへ/ウランバートルへ/ゴビへ

内容
われわれの国の島々は資源もなにもないが、雨だけが豊かに降る。そのおかげで弥生式農耕がはじまって以来、二千年このかた、人口がすこしずつふえてきた……。逆にモンゴル高原に雨が降りすぎれば、この乾燥地帯で三千年来営まれてきた生産が、根底から成立しなくなるのである(本文より)

印象に残った一節
すべて、「歴史」がおわったおかげである。「歴史」というのは了ってしまえば馬鹿のようなものだ。当時の私は、自分が常時もぐりこんでいる中戦車の油くさい鉄の壁を通してしか、自分の運命を考えることができなかった。その鉄の壁たるや、世界的標準からみてはるかに薄かったが、まして重装備を誇るソ連の戦車とは比較にならない。当方が載せている火砲はタドン玉のようなものを発射する程度の小さな榴砲弾で、とうていソ連戦車が載せている長加農砲と太刀打ちできるしろものではなかった。当方が発射しても相手はかすり傷も負わず、逆に相手が一弾を発射すれば当方は豆腐のように串刺しになってしまうだけのことである。
この想像のつらさは、絶対敗北用の兵器に乗らされていた者でなければわからない。敵弾が串刺しにしてくれるなら、まだよかった。もし一方の鋼板のみを貫いた場合、砲弾は車内のあちこちにぶつかって肉屋の機械のように乗員の体をコマギレにしてしまう。

「お前は黒貂の毛皮を持ってきた。であるから、お前と黒貂が棲む土地はおれのものだ」
という大国(複数)の理屈は、庶民レベルでは子供の遊び仲間でも通用しない。ところが国家間の対立の感情や論理は、近代から現代にくだればくだるほど、ときに子供の遊び仲間以下の内容になる場合がある。毛皮税や貢物として黒貂を持ちながら、コサックの堡塁へ行ったり清朝の役所へ行ったりしていた少数民族の先祖や子孫たちには、国際法的な立場などはない。国際法というのは本来大国間のとりきめなのである。

清国人は、同族の死者に対して鄭重であった。かれらのあるグループは、死体を故郷の山に葬るべく、防腐処理をする。脳は腐りやすいため抜きとってしまうのだが、どういう方法でか、顔だけは損なわずにしておく。死者に対するこの手厚さは、じつは死体そのものを密輸用の容器にするためだったといわれる。鼻の孔に管をさしこみ、その管を通して金粉を頭蓋骨のなかにそそぎこむのである。この胸の悪くなるような話は、十九世紀のイルクーツクがどういう町であったか――また中国商人とはどういうものだったか――をよく象徴している。

遊牧と農耕は同じく大地に依存しつつも、遊牧者は草の生えっぱなしの大地を生存の絶対条件とし、農耕者は逆に草をきらい、その草地を鍬でひっくりかえして田畑にすることを絶対条件としている。かつて内蒙古(いまは中国の一部)で、遊牧圏と農耕圏が入りまじっているあたりでは、このための紛争が絶えなかった。

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"街道をゆく (5) モンゴル紀行"のレビュー

(評価:4)
広大な草原へのあこがれ
レビュアー: shiba-ryo.net
2008-04-18
まず前半三分の一くらいはロシア(ソビエト)編とでもいうべき内容になっています。モンゴルに到着するまでの飛行機の旅やビザをめぐる紆余曲折から、第二次大戦時の回想、コサック兵進出の歴史など。すでに"歴史"となったソ連についての描写は時代を感じさせます。

そしてモンゴル編では、果てしなく続くモンゴルの草原を舞台に、漢民族との対立、ジンギス・カンの出現、社会主義政権の樹立まで、モンゴルの歴史を紐解いていきます。

なお、自分はいつも「街道をゆく」は地理を通して歴史を見るためのシリーズとして読んでいます。本書もモンゴルの歴史を学ぶことを期待して読んでいたのですが、このモンゴル編は読んでいて「実際にモンゴルの地に行ってみたい」という衝動に駆られました。

極端に少ない平地でせせこましく生きている日本人にとって、果てしなく続くモンゴルの雄大な草原というのは異質なものであり、あこがれでもあり、一度はそこに行ってみたいという念を抱かせられます。いつ頃自分のモンゴル紀行が実現できるかはわかりませんが、死ぬまでにはぜひ一度行ってみたい。そう思わせる一冊でした。

また、同時に在外モンゴル人は望郷の念が非常に強いという話も納得できました。朝青龍も将来は祖国に帰ると言われていますが、その気持ちも本書を読んだ今ならよく理解できます。


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