鳥取04年06月:鹿野城跡
鹿野城といえば亀井茲矩の優れた治績が有名です。茲矩は若いころからの山中鹿之助の同志で且つ娘婿にあたり、非業の死を遂げた山中鹿之助の跡を継ぐかたちで秀吉により鹿野領主に封じられました。
その治績は、まずは政治面では治水や開墾などの農業振興にはじまり、夏泊の漁村を開いたり、朱印船貿易を行ったり、良き領主として数多くの仕事をしています。
また文化面では白兎神社の再建、自身のインド趣味から鹿野城を別名で王舎城(古代インドの城で、釈迦滅後、ここで最初に仏典が編集された)と、城下を鹿野苑(ろくやおん。釈迦が悟りを開いたあとに最初に説法をした場所)と名付けたり、城の付近を流れる川の名前もインドにちなんだ名前にするなど、独創的な足跡を残しています。
さらに鹿野城のすぐ近くに鹿之助の墓を移し、寺号も幸盛寺と改めて舅を手厚く弔っています。
なお、亀井茲矩については街道をゆく 因幡・伯耆のみちに詳しく載っています。また新史太閤記にもわずかですが茲矩の魅力的な人物像が描かれています。
そんな亀井茲矩の鮮やかな治績に想いを馳せつつ、鹿野城跡を徒歩で登りました。15分ほどで天守台跡に着きます。
鹿野城堀端
この山には城内鎮護のための城山神社という社があり、麓にはその鳥居があります
天守台跡
天守台跡からの眺め。まさに城下町といった風景が広がります
こちらも天守台跡からの眺めですが、一面の山林と田園風景です
その後下山し、麓をウロウロしていたら「文豪 司馬遼太郎先生 御立の処」という杭を見つけました。おそらく執筆の際の取材で立ち寄ったものと思われます。
司馬遼太郎先生御立の処















