鳥取04年06月:鳥取城跡
鳥取城といえば羽柴秀吉の包囲作戦と吉川経家による籠城が有名です。4ヶ月間におよぶ籠城で飢餓者が続出し、牛馬はもちろん、人肉すら争って食べるほどの壮絶な籠城戦となりました。鳥取城攻防の様子は新史太閤記において詳しく書かれています。
史跡鳥取城跡附太閤ヶ平。太閤ヶ平(たいこうがなる)は久松山とほとんど同じくらいの背格好の山で、秀吉が鳥取城攻めの際に構築した総勢2万、距離20キロに及ぶ大包囲陣の本陣があった場所です。鳥取城跡とあわせて史跡に指定されています。
鳥取城は戦国時代中期に久松山(きゅうしょうざん)の地形を活かした山城として築かれましたが、江戸初期に因幡・伯耆三十二万石の鳥取池田家が誕生して以降は因伯の政治・経済の中心地となり、このときに山城から平山城に改造されています。現在も山頂に山城時代の本丸櫓跡、山麓には平山城時代の石垣や二の丸櫓跡があり、中世と近世の城郭遺構が併存するという非常に珍しい城だそうです。残念ながら明治初期に城郭は取り壊されてしまい、現在残っているのは堀と石垣のみとなっています。
堀。かなりの幅があります
生い茂る木々がとてもいい感じです
二の丸門
石垣。不揃いの石と苔が味わい深く、そして時代を感じさせます
麓から見上げた鳥取城。この山頂に本丸跡がありますが、当日は足元がぬかるんでいたので登頂はあきらめました
三階櫓からの眺め。鳥取市街が一望できます














