街道をゆく (2) 韓のくに紀行
読み:かいどうをゆく からのくにきこう
ジャンル:紀行文
収録:加羅の旅/新羅の旅/百済の旅
内容
白村江の海戦、この大遠征のためにおおくの若者がかりだされた。日本書紀では”日本”という国名をつかっているが兵士たちに国家への意識があったかどうか。氏族という小世界の長老の命ずるまま軍船にのり、いつのまにか涯もない大海によどんで泛んでしまったというのが実感であったろう(本文より)
印象に残った一節
インパール作戦の段階になると英軍のほうが日本の参謀が暗記している型をおぼえてしまって、その型の裏をつぎつぎに掻いて行って簡単に勝ってしまった。当時の英軍幕僚のあいだで、「日本軍のなかで一番馬鹿が参謀で、いちばん利口なのは現場現場の下士官ではなかろうか」という話が出たらしいが、真実をうがっているかもしれない。
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儒教というのは、日本にあっては紙で木版印刷された書物というかたちをとりつづけてきたが、中国ではもっとおそるべきものなのである。漢以来、統治の原理であり、多分に体制そのものであり、これを統治されるものからいえば人間関係の唯一の原則で、人間であるかぎりこれ以外の習俗はない。李朝五百年間、中国的儒教体制の模範生であった朝鮮は、中国の歴代王朝から「東方礼儀ノ国」とほめられつづけてきたように、習俗として礼教を重んじつづけてきた。むろんそれは形式主義であってもかまわない。むしろ形式主義こそ国家と人間の秩序にもっとも大切なものだというのが、儒教的な思考法である。礼とはつまり形式のことで、この形式がいかに煩瑣であれ、これを命がけでまもってこそ人間と社会が成立するというのが、儒教の祖とされる孔子の考え方であった。
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科挙の制は、一見理想的な制度のようにみえる。儒教原理による皇帝専制の中国体制にとっては、体制維持のために欠くべからざるもので、試験は形式上皇帝が直裁する。これによって採用された官吏はことごとく大官になり、皇帝の手足になるのだが、現実派アジア特有の官僚腐敗をつくりだす結果になっただけでなく、文章の文飾能力をもってテストするため、西洋でいう”学問”や技術の発達がはばまれ、いわゆるアジア的停滞の原因のひとつになった。近代に入って中国や朝鮮をすくいがたいものにしたこの元兇的存在のひとつを、歴史の中の藤原惺窩はこれをもって理想社会の理想制度のように思い、姜沆もまたそのように語った。
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日帝がいかに暴虐であろうとも――げんにそうだが――しかし長い朝鮮史のなかでその期間はたかが三十余年間であるにすぎない。李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力のほうがはるかに深刻なようにおもうのだが、しかし私の知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとはただ一人しか私はめぐりあっていない。「自分をこうしたのはあいつだ、すべての不幸とすべての悪はあいつがもたらした」という式の、自分自身の抜け落ちた議論は白刃のようにするどく、さらには100パーセント正しくもあるが、しかしするどさや正しさがかならずしも物を生みだすものではないのである。
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