街道をゆく (16) 叡山の諸道





読み:えいざんのしょどう
ジャンル:紀行文

内容
「法華大会」を知人がうけることで、20代のころから見たいと思いつづけてきた、その天台宗の宗教行事を拝見する機会を得る。まず坂本の街並み、赤山禅院、曼殊院門跡と、ほうぼうの登山口を周到にも訪ね直した著者は、“包囲網”を絞るかのように比叡山上へのみちをたどる。半生をかけて理解した最澄や天台の真髄をわかりやすく呈示し、いまなお人を惹きつける叡山の魅力を描く。

印象に残った一節
ときに唐は、晩唐の衰弱期で、かつてあれだけ世界の思想や文物に寛容だったこの王朝が、仏教に非寛容になり、土俗信仰である道教を大いに保護しはじめていた。多くの理由があるにせよ、国家が衰弱して力に自信がもてなくなると、かえってナショナリズムが興るということであるのかもしれない。

叡山と祗園はどこか似ている。祗園の芸妓たちが、客のなかで賢ぶってたかだかとふんぞりかえっている客などを見ると、蔭で、
――あのお客さんは賢仕立のアホや。
などという。芸妓にとってお客は人格の地のままでゆったりしているのが見よい。できればアホ仕立の賢がよく、賢仕立のアホが最悪とするというのだが、最澄と「同格」ということで自分に張りを持たせているわが九世紀の義真座主猊下は、ときに始末におえないひとだったのではないか。

光秀だけでなく、よほど嗜虐的な性格のもちぬし以外、好んでこの大虐殺を執行した者はあるまい。命令でうごく組織のおそろしさは、命令が個々の信条、思想を超えてしまうことだが、とくに光秀のように性格が几帳面で有能な場合、虐殺がたんねんなものになってしまう。洞穴などがあればかならず兵を入れてかくれている者をひきずり出して殺した。光秀はこのあと、坂本と南近江をもらうのである。
一方、横川谷をふくめた叡山北部を担当した木下藤吉郎の場合、職務をいい加減にやった。この方面に逃げた多くの者がたすかったといまでも叡山では伝承されている。光秀と秀吉の人間を考える上で、深刻な課題をふくんでいる。

人間の偉業は、好きだからそれをやったという場合よりも、そうせざるをえない状況に強いられて自分をその制約の中に押しこんで行ったという場合に光芒を発することが多い。

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"街道をゆく (16) 叡山の諸道"のレビュー

(評価:4)
最澄後の叡山
レビュアー: shiba-ryo
2009-05-14
最澄の生い立ちや天台宗の成立は"空海の風景"でも詳しく描かれていましたが、本作では最澄以後から現代に至るまでの比叡山と教団について枚数が多く割かれており、これら2作品をあわせて読めば天台・叡山のことがひととおり学べます。

正直、ドラマ性に乏しく地味な分野ではあると思いますが、個人的に宗教には興味があるので楽しく読めました。
奈良仏教との争い、官との癒着、僧たちの堕落、など多分に人間くさい歴史を経ていながらも、法華大会など(形式化しているとはいえ)宗教的な伝統を数百年間も守り続けているといった点はおもしろく、いろいろ考えさせられる内容だと思います。


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