街道をゆく (12) 十津川街道
読み:とつかわかいどう
ジャンル:紀行文
収録:五條・大塔村/十津川
内容
古代から明治維新まで、極端にいえば十津川郷(村)はだれの領地でもなかった。古来、日本国における所領関係の空白地だったといえるであろう。そういう意味では、「十津川共和国」というものをつくることもできるし、ひるがえっていえば実態は多分にそうだったといっていい(本文より抜粋)
印象に残った一節
専門家というものはほぼそういうもので、戦時中の日本の高級軍人なども、教科書で憶えこんだ知識と思想以外のことは、軍隊が敗けようが国が亡びようが、そういうこととはおかまいなしに守る通癖があった。
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軍隊(この場合は天誅組)は古来、いかに正義をとなえても軍隊そのものを守るという論理しか持たず、かれらが「死守」しようと呼号するその土地の住民の生存と安寧を守るものでは決してないということは、太平洋戦争末期の沖縄戦でもそうだったし、また関東軍が在留邦人を捨てていちはやく”戦略的”に退却したということにおいてもあらわれている。
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収奪され過ぎれば公(公道、公園という意味程度のこと)の観念が育ちにくい。南北数里の大きな縦貫道路などは当然地頭(幕府・藩)まかせになるが、上代以来免租地だった十津川村の場合、自分たちが身銭を切って仲間ぜんたいの利益をはからねば、お上が面倒を見てくれないということで、右の公の意識がごく自然に発達したものかと思われる。
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上代以来、この一郷がうるおったのは、昭和三十年代にほぼ完成した林道と縦貫道路が、木材の高値という状況に対してたまたまプラスに作動したほんの一時期だけだったということになる。この道路はたしかに十津川郷民の念願どおり下界の経済とを結んだが、気がついたときには日本の下界どころか、国際経済の渦のなかに村ぐるみ吸いこまれてしまっていたわけで、このことについては、かつて壬申ノ乱や保元ノ乱、あるいは幕末といった歴史の節目ごとに兵を繰り出して行った村史から何の教訓もひきだせないというところに凄味がある。
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