街道をゆく (20) 中国・蜀と雲南のみち
読み:ちゅうごく・しょくとうんなんのみち
ジャンル:紀行文
内容
接待してくれる二人のお嬢さんの顔だちは日本人そのままで、それも可愛く品がいい。イ族は、黒い色を尊ぶ。彼女らは白い絹地のシャツに、胴衣を着ている。布は黒で、別珍生地に似ている。・・・・・・その二人のお嬢さんを見ているうちに、娘の衣装というのは民族の花なのだと思った(本文より)
印象に残った一節
孔明がなによりも変わっていたのは、襄陽の名士たちから英傑といわれていながら、たとえば資産のないぼろ会社に進んで就職したことである。かれが栄達をのぞむなら、すでに勢威第一等の魏の曹操に仕えたであろうし、それには遠いいとこの誕が魏に仕官していて十分のつてがあった。第二勢力の呉にも長兄の瑾がいるためそれに仕えようとすれば、そのまま行くだけでよかった。
その点、劉備のような人に仕えるというところからして、孔明の世に在る姿は風狂というほかなかった。もっとも、孔明が仕えなければ、三国時代という壮大な歴史の現実が劇的なものにならなかったのだが。
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いうならば、蜀漢――ひいては三国の鼎立――というのは、歴史の必然というようなものよりも、孔明の口一つからうまれたといってよく、この点において、いわば時勢のなかの芸術的作者ともいうべきこの人物の充足のすべてがあったといっていい。
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しかし基本的には、法で縛られることは中国人の性格にあわないものであった。法は後世になるほど整頓されてゆくが、しかし思想的にはどこか必要悪としてあつかわれた。
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孔明とその治政を後世にまで地元の蜀人や中国人一般に慕わせたのは、かれの法治主義が人民への愛隣を基礎としていたからであろう。さらには法治を覆うのに大徳という自然人の体温そのものの倫理感情をもってしたためであったに相違ない。さらには、孔明が稀有なほどに無私であることが、蜀人の肌身で感じられたからでもあったろう。
これによってみると、孔明の法治主義的政治学は、たれでもそれを学べば参加できるというものではなく、多分に孔明の人格的要素の上に成立していたことになる。だからこそかれらは中国の政治史の上でなく、演劇、語りものといった劇的世界にのみ生きつづけたということがいえる。
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こういう形式の義兄弟の結盟の風習は、劉備らが生きた後漢末にはなく、宋以後であるといわれる。宋朝は商品経済が沸くように盛行した時代である。このため古い封建的倫理(君臣の義など)がくずれ、ヨーロッパ的な内容での「個」でないまでも、中国的社会事情のなかで「個」の意識が鮮やかにうまれた。相互扶助という横の関係の倫理ができあがり、やがてパンという秘密結社が成立する素地ができてゆくのだが、『演義』の作者の羅貫中は宋を経た元の末のひとだけに、当然、この種の結盟の慣習の時代に生きている。いわば現代的な倫理と慣習が、三人の結合に「結義」という劇的情景を羅貫中につくらせたのではないか。
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伝統的な中国社会にあっては、君子、あるいは士大夫や読書人などとよばれるひとびとは、精神を労する人ということで、肉体を労するひとびとより上位に置かれる。
「君子」
というのは、孔子が興した儒教にあっては高度の道徳性をそなえた理想的人格ということだが、同時に官僚という意味もある。有徳でない人が官僚になるはずがないという、多分に架空の前提から、このふたつの意味は、観念的には矛盾しないことになっている。君子の反対語が小人だが、基本的には、庶民、労働者という意味である。同時に、徳のない者、という意味ももつ。孔子は『論語』において、君子・小人という概念を、右のように両義をごく自然に融かしてつかっている。
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アメリカの黒人が金属楽器を持ったときに作りだしたジャズが、アメリカという多様な文化の複合社会において普遍性のテストを経ると、そのまま世界に通用し、ひろまった。ジーパンのかっこよさまでが、アメリカという文化的複合社会で濾過され、洗練されると、世界に通用してしまうようなものである。歴史的存在としての中国には、そういう普遍化への作用がある。この意味では、中国はアメリカに似ている。
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この稿をここまで書いたところへ、友人が、菅原幸助氏の『日本の華僑』(朝日新聞社刊)という本を送ってきてくれた。その本の最後の項目である「取材雑感」のなかで、ある老華僑のことばが引かれている。
日本人は許すと、すぐ忘れてしまう。許したら、忘れなければいけない、と考えているようだ。中国人の場合は違う。許した後は、きれいにつき合うが、その事実は決して忘れていない。
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が、侵略した、ということは、事実なのである。その事実を受け容れるだけの精神的あるいは倫理的体力を後代の日本人は持つべきで、もし、後代の日本人が言葉のすりかえを教えられることによって事実に目を昏まされ、諸事、事実をそういう知的視力でしか見られないような人間があふれるようになれば、日本社会はつかのまに衰弱してしまう。
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