街道をゆく (22) 南蛮のみち 1
読み:なんばんのみち1
ジャンル:紀行文
内容
バスクは、浮世の国ではない。常世の、本質的な国であるような感じがする。ここはバスクだという標識はないかと期待していたのだが、ついにそれがバスの前面に近づいてきた。道が丘と畑のなかの三叉路に近づいたとき、銹の吹き出た鋳物製のような造形が、ずっしりと立てられていた。
印象に残った一節
人間は、ふつう広域社会の支配的な価値観に従順である。しかしそれに対抗する価値意識をもち、かつその少数的な価値意識こそ人類もしくは人間という場においてかえって広く、普遍的であると感ずる人たちが、少数なりに結集し、
――大きいばかりが社会ではない。われわれには、われわれの同一性(アイデンティティ)がある。そこに真の幸福もある。
と、たがいに認めあい、それぞれの自己が安らぎあう、という集団現象がある。ザヴィエルが日本に残して行った切支丹の結束と、凄惨な殉教にまでいたる信仰の持続も、そういう現象の一つといえる。
私どもは、幼児のころには家族に属していた。小学校では、何年何級に所属し、そこに自己の同一性を見出し、安らいでいた。日本人の場合、成人して社会という大海にほうり出されることなく、多くは会社という島にたどりつき、そこに自己同一化し、安心立命する。
スペインは、近代国家というにはあまりにも多量に中世を残している。こういう社会にあっては、企業もすくなく、また日本のように、所属した企業に自己同一化する伝統もすくない。学校を出れば、めあてのない大海をひとりで泳いでいるような心もとなさがあるのだろうか。
—
人間の精神は、強靱なものではない。未開時代から中世いっぱいおなじ価値観、風習、言語を共有する小集団に帰属してきた。村に住む農民、町に住む鍛冶屋、城に奉公する武官、文官のくらしを想像すればよい。
「フランス革命がいけなかったのだ」
という言葉を――これはわずかにちがう意味ながら――この旅の途中で、私はバスクの有力者からきくことになる。右の革命が、多様に暮らしてきた小集団群を無視し、国民国家という、広域でかつ平面的な、さらには均一性が高くもある社会をつくりあげ、ヨーロッパの各地方がそれをまねた。近代国家は、本来、小集団に帰属してこそやすらぐという、魚と魚巣の関係に似た精神のしくみを無視した装置だったのだろうか。
日本では、中世末期にすでに日本なりの規模で社会が広域化しつつあった。この時期、多くの農民が一向宗に参加し、支配者とその集団に対する少数者の社会を形成したのも、ひとつはそういう心理からとみていいのではないか。
むろん、バスクの問題は、そういう窓からのぞくのみで片づくわけではない。しかし、権利の平等という近代国家の切札であり、かつ主要な精神でもある法と倫理の思想でもってこの問題が片づかないことはたしかである。なぜなら、バスク人はすこしも差別されていないのである。
—
国家から少数者とされたひとびととしては、もがきつつ国家のワクからのがれたがる。のがれるには、より大いなる――より高次元の――ものに自己を合体させるほかになく、この意味でバスクの場合、穏健者たちは現実に存在するECを想うのである。また少数の過激家たちは、現実のすべてを否定して世界革命を希うようになっている。
バスクだけでなく、今後の世界というのは、各国家における多様な少数者たちの不満が活性化する時代になるのではないか。さしずめ、バスク問題は、その先駆的な現象といっていい。西欧という先進文明圏が内蔵している問題だけに、将来、よき解決法の先例がつくられるかもしれない。
—
やがて石の階段を降り、最後の扉をあけると、そこは日本の近世城郭の用語でいえば「枡形」とよびたいような小空間だった。日本の城郭の場合、城門の内側に設けられた四角い空間で、城兵が城を突出しようとするとき大将は石垣の上に床几をすえ、閲兵し、同時に、討死するかもしれない城兵たちに対し、敬意をこめて最後の別れをする。さらには枡形には何人入るという見当があらかじめついていて、枡で豆を量るように人数の見当をつけるのである。
枡形ということばで連想するのだが、豊臣秀吉の子の秀頼というのはなさけない大将であった。かれは大坂籠城のさい、城内の各部隊が最後の突出をすべく出てゆくときも、本丸にひっこんだまま、枡形の石垣上にさえ出て来なかった。四天王寺で戦死した真田幸村の兵も河内柏原で戦死した後藤又兵衛の兵なども、すべて城主の枡形での敬礼をうけることなく死んだ。日本の貴族は、いつの時代でもそうだった。信じがたいほどに臆病で、つねに最後方にいた。中世のヨーロッパの貴族は、最前線に立つことを原則としており、そうであればこそ敬意をうけていたともいえる。
(この意味で日本では、明治の翻訳語としての”貴族”は存在しない。)
—
しかし、スペイン人のほうがあとからきた。
バスク人は、以前からいた。それも旧石器時代後期ぐらいから居つづけた、という。
「アルタミラの洞窟の絵だって、われわれの先祖が描いたのだ」
フランス・バスクのバイヨンヌで会ったバスク人が言った。そのとき私はできすぎたユーモアと思って笑った。相手も釣られて笑ったが、しかし目もとは真顔だった。この真顔が、アイデンティティ(素姓)というものだろう。今後の世界をゆるがすおそろしい課題の一つになってゆくにちがいない。
—
文明というのは、科学技術と同義語といっていいほど合理的なものだが、それにひきかえ、文化とはどうやら非合理なものらしい。日本の例でいえば、村の祭礼などはやらなくてもいいものだし、お座敷でのお作法も無意味だとおもってしまえばそれでおしまいになるものである。言語もそうである。漢字の多い日本語など不合理きわまりなく、いっそエスペラントにしたほうがいい、という議論もなりたつ。世界中がエスペラント語一つになるほど、文明的なことはないという議論である。
「いっそ、世界中の人間の口を縫いつけたほうがいいのではないでしょうか」
と、むかし、真顔で私にいった人がある。人間にものを言わせておくと、かならず非合理なことをやってしまう。また民族ごとにまちまちの言語を喋る。縫いつければ沈黙という普遍性を人類は獲得する。文明という合理主義、普遍主義の本質のなかには、そういう悪魔の冗談のようなものが入っているのである。
—
スペインでは、タイヤなどという面倒なものは造らないようであった。かれらはポルトガル人とともに十六、七世紀に大航海時代という世界史をゆるがす大事業をやり、地球規模で発見したもろもろの大陸や島々から財宝や珍貨をもちかえり、はちきれるほどの富を得た。商業というよりも、収奪だった。スペイン人が、歴史的に工業や商業を低いしごととみる性格ができあがるのも、この栄光の時代の後遺症であるかもしれない。
タグ: イエズス会, イグナティウス・ロヨラ, イスパニア, エラスムス, スペイン, ソーヴール・カンドウ, ナバラ, バスク, パリ, ビトリア, ピレネー山脈, フランコ将軍, フランシスコ・ザビエル, フランス, ポルトガル, ミゲル・レガスピ, ムジカ神父, モンマルトルの丘, ローラン, 上智大学, 大航海時代, 種子島時尭, 聖バルブ学院








