街道をゆく (24) 近江・奈良散歩
読み:おうみ・ならさんぽ
ジャンル:紀行文
内容
昭和二十年代の土木は、人力だった。農業と同様、人間の営みのなかで崇高な分野に属した。古代中国の二大土木といわれている万里の長城や大運河は、これを見る者をして感動せしめる。その巨大さに驚くのではなく、巨大なものを造った何十万、何百万の人間の労働の集積に感じ入るのである
印象に残った一節
家光の時代、朝鮮に大飢饉があり、救援を乞うてきたため、幕議で米麦を送ることにした。その数量を石であらわすことになったが、直孝はひとり船の数で量ることを主張した。理由として、石で数量記録すると、もし後代、同様のことがあって送る場合、その石数が先例になる。そのとき日本が豊作ならいいが、不作の場合、石数を減らして送らざるをえない。となれば外交上、先方の感情を害する、という。その点、船何艘ならば、船には大小があり、豊凶にかかわらず将来も船数を先例どおりそろえることができる、というのである。閣議は、それに従った。
—
私どものいまの文明は、街も田園も食い荒らしている。だからひとびとは旅行者にパックされてヨーロッパへゆく。自分の家の座敷を住み荒らしておいて、よそのきれいな座敷を見にゆくようなもので、文明規模の巨大なマンガを日本は描いている。こんなおかしなことをやっている民族が、世界にかつて存在したろうか。
—
大和にせよ近江にせよ、いま急速に都市の周辺の場末の街に転落(!)しつつあるというのは、私どもの文明がかかっている重大な病気としか思えない。政治がわるいということでは片付けられない。私どもがあたらしい文明観でもって日本に秩序美をあたえるような時間的余裕がないままに高度成長がきてしまったためでもあるだろうし、さらには土地所有についての思想と制度が未熟なままに経済成長の大波がやってきたためでもあるだろう。
—
諸兄は五十年後の日本に来るべきだった、と言ったことには、根拠などはない。ただこの田園の壊滅の状態はながい日本史の一時期の一現象で、いずれは堅牢な文明観をもってわれわれの居住環境を秩序だてる時代がくるだろうと――希望的な修辞かもしれないが――信じているからである。このように信じでもしなければ、いまの日本に住んでゆけない。
—
そういう土木の偉大さも崇高さも、日本社会が土木機械を手に入れたときから、変った。土木は私どもの国土と暮らしをおびやかす怪物にかわった。むろん、土木がわるいのではない。それを使用する国家や国民に、使用できるだけの哲学が無いか、不足しているということなのである。
—
仏教は、キリスト教やマホメット教のように、一神教でかつ教祖の言葉による「啓示宗教」であるものとは、宗教としての本質において異なっている。
――神を崇え。
とは、釈迦は説かなかった。
――これが真理である。
とのみ説いた。
—
「やってきた、というのは意味がないんだ。いまから何をやるかだ」
と、私の先輩はいった。しかし、と私は思った。様変ることが常の世の中にあって、千年以上も変ることがないということが一つでもあったほうが――むしろそういうものがなければ――この世に重心というものがなくなり、ひとびとはわけもなく不安になるのではあるまいか。
「海とか山とかと、同じようなものだと思うのだけど」
「・・・・・・ずいぶん」
と、先輩は笑った。保守的だ、といいたかったのだろう。
私はべつに保守的な感情でいっているつもりではなかった。人間が海や山を見たいと思うのは、不動なものに接して安心をえたいからではないか。自然だけでなく、人事においても修二会のような不動の事象が継続していることは、山河と同様、この世には移ろわぬものがあるという安堵感を年ごとにたしかめるに相違ない。
「様式の新奇さだけを追うことが、何になるのだろう」
と言いたかったが、遠慮をしてだまっていた。
—
人間のくらしには、「文明」と「文化」がかさなりあっている。「文明」は普遍的で便利でかつ合理的なものだが、つねにそれに裏打ちされている「文化」は、どの国あるいはどの集団でも不合理なものであり、逆にいえば不合理でなければ「文化」ではありえないのではないか。それに堪えて、不断にくりかえすというところに、他とちがった光が出てくるともいえる。
—
「ほんとうだろうか」
私は、浦島太郎の気持がわかるような気がした。いささかも外形が変らず、時間だけが川のように流れている。東大寺のおそろしさだと感じた。
タグ: 上司海運, 亀屋佐京, 五重塔, 井伊直孝, 井伊直政, 伊吹のもぐさ, 修二会, 国友村, 多武峰, 姉川の戦い, 安土城, 彦根城, 東大寺, 柳沢淇園, 武村正義, 浅井長政, 興福寺, 花居清心, 華厳経, 蒲生氏郷, 遠藤直経








