街道をゆく (25) 中国・ビンのみち
読み:ちゅうごく・びんのみち
ジャンル:紀行文
内容
赤い髪飾りをつけたショー族の若い女性たちが、私どもに茶をついでまわってくれた。茶は、ことしの一番茶としてきのう摘んだものだ、という。茶の木は、陽あたりがよくて霧の出る土地がいい、といわれる。福建省は山峡の多い省だけに、名だたる茶どころなのである。
印象に残った一節
江戸日本人は、中国文明とヨーロッパ文明をカネを払って買った、ということである。文明はただで手に入るものではない。さらには、唐物・唐本の過剰から刺激に馴れができ、飽きから独創にいたる気分が生じたのだろうか。ともかくも突然変異のように、”近代”を先取りするような思想群がうまれた。
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いつも思うことだが、中国文明は合理主義的な思想としても、自我の問題でも、紀元前の戦国時代のほうが”近代”だったという奇妙な倒立のかたちをとっている。紀元前に、人類が考えうるあらゆるタイプの政治論や哲学的論議が出そろってしまい、その後二千年、国教である儒教のもとに悠然と眠りこんでしまった。
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東南アジアの”非明治人”たちは伐ったあとの植林をしないのである。植林はその国がやれ、とおもっているらしいのだが、その点、都合よく矛盾している。相手が植林思想をもたないか、稀薄な国だからこそ、伐採隊が入りこめる。相手国に植林をしなさいといっても、鈍感である。だからどうしようもない、という弁解になる。
それで伐りっぱなしになってしまうのだが、地球規模でもっと考えられないものだろうか。森林はその国の資産であるだけでなく、人類をふくめた生物の生存上の条件なのである。またその国が森林をうしない、沼地が乾いてヘドロの粉末の堆積地になり、人が棲めなくなったときに、その国のひとびとはかならず”これらは日本人がやったことだ”というにちがいない。われわれの子孫にそういう悪名をかぶらせてよいものだろうか。
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日本人は源平以来、
――名こそ惜しけれ。
という強烈なモラル代用の廉恥心の精神史をもってきたが、旅の恥は掻き捨て、浮世の恥も一代かぎりと思っている。だから野蛮人だ、と貝塚茂樹氏はいわれた。たしかにそうである。他国の自然に対する後の手当のない収奪など、日本国と日本人の悪名を残すことなのだが、その意識がないというのは、野蛮人というほかない。
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