街道をゆく (26) 嵯峨散歩、仙台・石巻
読み:さがさんぽ、せんだい・いしまき
ジャンル:紀行文
内容
“嵐山に塔か堂があれば、対岸から見る景色はどんなによくなるだろう”と、あるいは空海はおもったかもしれない。当時の中国人は、よき山水に対しては人工を加える。一峰をえらび、景観のアクセントにする。空海が中国教養のもちぬしだったことをおもわねばならない
印象に残った一節
明治国家は明治憲法によって成立した一種の国民国家であるといえるが、昭和の軍閥は、憲法の骨格である三権分立の上に「統帥権」という超憲法的な魔法の権をくわえ、これに拠って日本を支配した。というより、他人の国のように”占領”した。”他人の国のように”でなければ、賭博外交・賭博戦争をやって、国家そのものを賭ケモノにするなどはできるものではない。こういう例は世界史上にない。
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『国語』によると、むかしの聖王は民を瘠土に住まわせたものだ、という。瘠土の民は心身を労するから心身の働きもよくなる。むかしの聖王はそういう者を用いた。それに対し、沃土の民は材(はたらき)がよくない、というのである。
筆者は、歴世の仙台藩が沃土の上に安住して殖産興業をおこたった、といいたいのである。
仙台藩はそれほど沃土だった。
沃土をいっそう沃土たらしめたのは、正宗とその余熱を受けたひとびとである。『国語』がどう言おうと、そうすることが江戸初期までの幸福をふやす道だった。江戸中期から日本の経済社会が変化し、諸藩は産業を志向した。中期以後の仙台藩はそれを怠った。「沃土の民」だったのである。
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