「明治」という国家
読み:めいじというこっか
ジャンル:エッセイ
内容
「明治」は清廉で透きとおった“公”感覚と道徳的緊張=モラルをもっていた。維新を躍進させた風雲児・坂本龍馬、国家改造の設計者・小栗忠順、国家という建物解体の設計者・勝海舟、新国家の設計助言者・福沢諭吉、無私の心をもち歩いていた巨魁・西郷隆盛、国民国家の形成を目指したかれら“明治の父たち”は偉大であった。本書は、明治草創の精神を捉え直し、「明治国」という人類普遍の遺産を巨細に語りつくす。これは、著者畢生の日本論であり、鮮明な日本人論である。
印象に残った一節
真の憂国というのは、大言壮語したり、酔っぱらって涙をこぼすというものではありません。この時代、そういう憂国家は犬の数ほどたくさんいて、山でも野でも町でも、鼓膜がやぶれるほどに吠えつづけていました。小栗の憂国はそういうものではなく、日常の業務のなかにあたらしい電流を通すというものでした。
—
金の話が出たついでに申しますと、明治国家は、貧の極から出発しました。旧幕府が背負った外債もむろんひきつぎました。あらたに明治国家は借金もしました。それらを、貧乏を質に置いても、げんに明治・大正・昭和の国民は、世界じゅうの貧乏神をこの日本列島によびあつめて共にくらしているほどに貧乏をしましたが、外国から借りた金はすべて返しました。
「国家の信用」
というのが、大事だったのです。
—
私は、小栗のこのことばを言いたくて、えんえんとここまで喋ってきたわけなのです。
あのドックが出来上がった上は、たとえ幕府が亡んでも”土蔵付き売家”という名誉をのこすでしょう。
小栗はもはや幕府が亡びてゆくのを、全身で悟っています。貧の極で幕府が亡んでも、あばらやが倒壊したのではない、おなじ売家でも、あのドックのおかげで、”土蔵つき”という豪華な一項がつけ加えられる、幕府にとってせめてもの名誉じゃないか、ということなんです。
小栗は、次の時代の日本にこの土蔵が――横須賀ドックが――大きく役立つことを知っていたし、願ってもいたのです。
小栗は、
「明治の父」
であるという言い方は、ここにおいて鮮やかに納得できると思います。このドックは、明治国家の海軍工廠になり、造船技術を生みだす唯一の母胎になりました。
—
明治国家というのは、江戸二百七十年の無形の清心遺産の上に成立し、財産上の遺産といえば、大貧乏と借金と、それに横須賀ドックだったということを話したかったのです。
さらには、明治国家が、一セントの外貨の手持なしに成立した国家であることも、わかって頂きたかったのです。
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いまでいえば佐賀県は日本の都道府県のなかでも面積も小さく、貧乏でもある県ですが、封建割拠――つまり自治――というもののおもしろさは、意外な花をひらかせるものですね。佐賀は、科学技術という点で、かがやくような藩でした。
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革命とは本来、常にあらざる――非常の事態です。一民族の長いいわば千年の歴史で、革命を一度やると、”あれはすばらしかったが、しかし二度とはごめんだ”というものです。オランダにおける市民革命、イギリスにおける清教徒革命と名誉革命、フランスにおけるフランス革命、アメリカにおける独立戦争と南北戦争、ロシアにおけるロシア革命、それらは中世もしくはもっと以前からの社会の累積と継続に社会そのものが耐えられなくなって、――つまり人間が、過去からの社会のために不幸になるばかりだという過去からの因縁のかさなりが全身ガンのようになってしまって、細胞を新たにするためにおこさざるをえないものです。
—
そういう革命によって、その期間、人間は狂気にならざるをえません。そのためには強い酒――つまり異常なる正義――が必要です。
たとえば、十七世紀の清教徒の大親玉であるクロムウェル。英国史上、悪魔のごとき独裁者でした。かれもかれの手下も、カトリックは悪魔だと思いこみ、となりのカトリック国のアイルランドに攻めこみ、手あたりしだい坊さんや尼さんや農民の首を切って、その連中の土地を自分のものにしてしまうのです。それが、革命の正義でした。まともなことではありません。
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――鎖国は、日本古来のものではなく、徳川幕府がその初期にとった国是にすぎないものらしい。
という、いまなら、中学生のすみずみまで知っている簡単な事実に気づきます。地球は昔から太陽のまわりを動いているのですが、それを発見した十六世紀の天文学者コペルニクスの説ほどの、これは驚きでした。それを知らずに、幕府に対して、国を鎖せとざせとむりやりに要求しつづけていた攘夷的革命論者は足もとをすくわれたのです。革命期には、無知や妄信のほうが、エネルギーになるという一事実です。
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神祇官は奈良朝時代からあって、祭祀をしたり、卜占――うらない――をしたり、鎮魂をしたりする役所がありますので、これは維新早々の復古現象のなかでも最たるものです。この神祇官が、やることがないので、明治国家初期の最大の失敗であるお寺こわしをやります。仏教も外来のもので、日本古来のものじゃない、という珍妙な文化大革命(新中国の政治史用語です)です。廃仏毀釈というもので、まことにバカなはなしです。革命はよっぱらいですから、平時には考えられない大愚行がつきまというのです。
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このように社会における多数の層が学問をするという現象は、ヨーロッパにもなく、中国や朝鮮にもありませんでした。中国・朝鮮では、天才的な人だけが科挙の試験をうけて、貴族としか言いようのない身分を得ます。日本の場合は、そんな大そうなものではなく、ただの人が勉強することによって、教員になったり、県庁の役人になったりすることをねがうのです。中国の場合、王朝時代から近代さらにいまにいたるまで、伝統的に中間管理職が不足している社会、いまでもそのことに中国はこまっていますが、日本の場合、いまなお中間管理職で充満している社会だということからみても、右の事情となにか符合します。
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国家もまた老いると動脈硬化をおこします。明治国家もその誕生早々の若々しいときは、このように世界性を身につけようとしていきいきしていたときがあったのです。
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“明治日本とプロテスタンティズム”明治日本にはキリスト教はほんのわずかしか入りませんでしたが、もともと江戸日本が、どこかプロテスタンティズムに似ていたのです。これは、江戸時代の武士道をのべ、農民の勤勉さをのべ、また大商人の家訓をのべ、さらには町人階級の心の柱になった心学をのべてゆきますと、まことに偶然ながら、プロテスタンティズムに似ているのです。江戸期の結果が明治国家ですから、これはいよいよ似ている。ただし、決定的に似ていないところがあります。ゴッドとバイブルをもっていない点です。
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私は非教徒ですから、露骨にいってしまいますが、十六、七世紀、ヨーロッパでさかんになった商工業というビジネスに参加するには、カトリックの農村からやってきて、すぐ間にあうというものではありません。ビジネスに参加するには、個人の資質や徳目が大切です。そうあるべき個人は、プロテスタント的に、ビジネス全体に対して責任感をもっている個人です。ビジネスというのは近代の重要な要素ですが、目にみえませんね。目にみえないビジネスの組織や刻々動いていく状況に対応するには、個人の重みです。重みとは、自律、自助、正直という責任感。このプロテスタント的徳目が世界の近代をつくったわけですな。正直というのは、自分だけがインチキしてふところに入れて私腹をこやさないということです。一つのビジネスに百人が参加していて、一人だけが私腹をこやしているとなると、ビジネスそのものが動かなくなります。
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私は軍国主義者でも何でもありません。一つの民族――社会といってもいいですが――が、いろいろな経験をへて、理想に近い社会をつくろうとする。そういう向日性があります。日本社会も理想の社会をつくりたい。その理想の社会は、兵隊が威張らない社会、兵隊がひっそりしている社会、そして福祉がゆき届いた社会、誰でもその社会に参加したいと外国人が思う社会。それは、たとえば一時代のイギリスでした。そしてまた、一九五〇年代、六〇年代のアメリカでした。そういう社会を日本人も築きたいと思ってるけれども、自分の過去に対して沈黙する必要はない。よくやった過去というものは、密かにいい曲を夜中に楽しむように楽しめばいいんで、日本海海戦をよくやったといって褒めたからといって軍国主義者だというのは非常に小児病的なことです。私はかれらは本当によくやったと思うのです。かれらがそのようにやらなかったら私の名前はナントカスキーになっているでしょう。
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さて、東郷さんの出た商船学校のことに話をもどします。まことに、小さくささやかな学校でした。十五、六歳の娘さんが、ボートをロープでひきあげていましたが、”ゆくゆくは船のコックになるんだ”といっていました。たいていの女子在学生は、コック志望のようでした。
この学校を十九世紀にひきもどしても、とても海軍士官を養成する内容ではなさそうですね。そういう学校に、極東の無名の国の青年が、年を十歳もごまかして入学し、すてばちにならず、規律で最高点をとっていたことを思うと、胸の痛むような思いがしました。
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「日本および日本人とは何か」
という説明をもとめられたとき、明治人は武士道をもち出さざるをえなかったのです。ではサムライとは何か、と問われれば、自律心である、ひとたびイエスといった以上は命がけでその言葉をまもる、自分の名誉も命を賭けてまもる、敵に対する情。さらには私心をもたない、また私に奉ぜず、公に奉ずる、ということでありましょう。それ以外に、世界に自分自身を説明することはなかったのです。そしてそれは、りっぱな説明でもありました。すくなくとも日露戦争の終了までの日本は、内外ともに、武士道で説明できるのではないか、あるいは、武士道で自分自身を説明されるべく日本人や日本国はふるまったのではないか、と思います。
皮肉なことに、武士が廃止されて(明治四年の廃藩置県)武士道が思い出されたといってよく、過去は理想化されるように、武士道もまた理想化されて明治の精神となったと思います。
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西郷の死と、西郷の後輩たちの大量死は、サムライたちが保持していた日本人の品性や気骨、質実さが、今後、急速に薄れてゆくという不安を福沢にいだかせたのでしょう。”個人の独立”といったところで、薄っぺらな個人が独立したところで、なにほどの美を済すわけではありません。福沢は、それより生年のわかい内村や新渡戸たちが大切にした、武士道というものを大切にしたかったのです。かれらは、米国でニューイングランドあたりにいる敬虔で厳格で自律的な新教徒を多く見ました。かれらがもつ個人の厚みを十分に知っていました。それに匹敵するものが、まだ十分に世界性のなかでみがかれていないとはいえ、武士道ではないか、とかれらは思ったのです。
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