秋山好古直筆辞職願(小学校校長職)を公開
日露戦争で活躍した秋山好古が、軍人になる前に勤務していた名古屋市熱田区の千竈学校(現・白鳥小学校)を辞職する際に書いた直筆の辞職願が、同市東区の徳川美術館で5日から初めて一般公開される。
当時の県令安場保和にあてたもので、新聞半ページ大の和紙に筆で「母が急病で、帰郷して看病する」と漢文で記している。
好古は伊予松山藩出身。大阪師範学校を卒業後、1876年から約1年間、千竈学校に校長待遇で勤務していた。辞職の理由を母の急病としているが、好古は辞職の3か月後、陸軍士官学校に入学している。陸軍では騎兵を育成して日清、日露戦争で指揮官として活躍し、勝利に貢献。その後陸軍大将になった。
辞職願は県が保管していたが、1938年に県庁が移転する際、廃棄されるところを徳川林政史研究所(東京都豊島区)が引き取った。これまで公開されたことはなかったが、松山出身の好古、真之兄弟と正岡子規を描いた司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKでドラマ化され、関心が高まっていることもあり、公開に踏み切る。
日露戦争の口火を切った仁川沖海戦を従軍画家の東城鉦太郎が描いた油絵「日露戦争仁川沖海戦図」(同美術館所蔵)も合わせて初公開される。
同美術館の原史彦学芸員は「好古が名古屋で勤めていたことは一般には知られておらず、このことを裏付ける資料は数少ない。『坂の上の雲』をきっかけに当時の日本人の生き方が見直されており、ぜひ見てほしい」と話している。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aichi/news/20100104-OYT8T01278.htm
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2010 年 2 月 26 日 3:25 AM
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