街道をゆく (29) 秋田県散歩、飛騨紀行





読み:あきたけんさんぽ、ひだきこう
ジャンル:紀行文

内容
・・・マゲモノの時代劇のほうが楽しそうなのである。観る側は、人情のこまやかさ、秩序美、あるいは爽快感などを、江戸時代を舞台にした小説、映画に感じたりする。作る側も、そのようにつくる。こういうことは、他の近代国家にはすくないのではないか(本文より)

印象に残った一節

大正十二年うまれで、私より二年先輩である。この年代はよく死んだ。
「よく生き残りましたね」
「はい」
おだやかな表情である。
「小学校の同窓会はどうですか」
「同窓会は女ばかりでございまして」
「男は?」
「三分の二が戦死でございます。集まりますと、男がすくなくて、はずかしいくらいでございます」

しかし私など江戸期を知ることがかさなるにつれて”江戸国家”と”明治国家”(こんにちまでをふくめる)は原理がちがっていながらも、どちらが住みやすかったかとなれば、ずいぶん問題が多いのではないかと思うようになった。
小説や演劇は、大きな岩のようなずっしりとした主題をすえねばならないとき、過去の世に舞台を設けるほうがいい場合が多い。
しかし日本の場合、ちょっと様子がちがう。マゲモノの時代劇のほうが楽しそうなのである。観る側は、人情のこまやかさ、秩序美、あるいは爽快感などを、江戸時代を舞台にした小説、映画に感じたりする。作る側も、そのようにつくる。こういうことは、他の近代国家にはすくないのではないか。
ひょっとすると、江戸国家のほうがよかったのではないか、という健康な疑問が、私ども庶民の心に生きつづけてきたのではないかとかんぐってみたくもなる。

昭和三十年前後の日本は、紀元前に弥生式稲作が伝来して以来の伝統の中になおくるまれていた。いわば二千年の米作りの歴史の最末端にあったといってい。
日本にあっては、米作りこそ正義だったのである。あるいは倫理でもあり、宗教でさえあった。敗戦から五、六年たって、八郎潟を国営で干拓して米をつくろうという考えがおこったとき、
――だめだ、米作万能の時代は、やがて去るだろう。
という予言をした人は、いなかったのではあるまいか。

秋田市に農林省干拓調査事務所がおかれたのは昭和二十七年だった。たれもが、飢えの記憶をもっていたし、米はタカラモノだという伝統の信仰をもっていた。
一方において、やがて国民を食わせることになる国産の乗用車がつくられはじめたが、その出来ばえにもその将来についても世間の評価はつめたかった。
日本の工業と技術が、世界に環流しているドルを大量に日本にひきいれ、アメリカ経済にまで影響をあたえる時代がくるなど、夢にも予測されていなかった。むろん、経済学者のすべてをふくめてである。

主食を外国に仰げば、いったん有事のさいは、それを断たれることによって、簡単にほろんでしまう。そういう、”危機想定”は、十分生きている。いわば国運がかかっているということで、一般納税者は、米作農家を守るというかたちを、国家がとっているのである。
(米作農家は、準公務員ではあるまいか)
と、私など、ごく平たい意味でおもうことがある。

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"街道をゆく (29) 秋田県散歩、飛騨紀行"のレビュー

(評価:4)
米所と職人所
レビュアー: shiba-ryo
2010-02-15
秋田編。
芭蕉や一茶の紀行を通じて景勝を描写し、八郎潟では米について語る。
また江戸期に防砂林を築いた栗田定之丞、明治の文化人内藤湖南、狩野亨吉など、公に尽くした人々の高潔な人格も詳しく描かれている。厳しい東北地方の冬がこうした重厚な人格を作り出すのだろうか、と感じた。
時代が下がり、今では東北出身の人物で思い浮かぶ名前といえば政治資金問題で世間を騒がす某氏。東北に限ったことではないけれど、残念ながらずいぶん品下がったものだと思う。

ちなみに自分の父の実家が秋田で、秋田へは小さい頃に何度も行ったことがあるので、幼時の記憶をたどりながら興味深く読んだ。
ここ最近はほとんど行かなくなってしまったが、機会があればまた本書を読み返し、秋田に行ってみたいと思う。


飛騨編。
こちらは一国すべてが山。米をほとんど産することができないため、手に職をもった技術者、いわゆる"飛騨の匠"が多い。そんな特殊な国柄から、日本人の重要な要素のひとつである「優秀な職人への尊敬」というテーマを描いているのが印象に残った。

なお、ちょうど1年ほど前に飛騨高山に旅行に行ったので、読みながら飛騨の山々や高山の街の美しさを鮮明に思い出すことができて良かった。
飛騨には他地方にない独特な雰囲気があるが、それが江戸初期に金森氏の残した遺風だったことを、本書に教えてもらった。1年前の飛騨の旅が完結したように思えて、非常にすっきり気分になった。


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