丁重に葬られた日露戦争の軍神広瀬武夫中佐


 日露戦争(1904~05)の旅順港閉塞(へいそく)作戦で被弾した軍神・広瀬武夫中佐(竹田市出身・写真)は、ロシア軍によって遺体で海中から発見され、ロシア艦船上で丁重な葬儀を営まれていたことが、日露文化センター代表、川村秀さん(東京)のロシア国内での調査で分かった。

 川村さんはこの調査結果を昨年12月文芸春秋臨時増刊号に寄稿しており、6日に竹田市で開かれたプレ嚶鳴フォーラムに出席して関係者に披露した。戦死時、広瀬の遺体の存否などについては不明な点が多く、この調査結果は今後の広瀬武夫研究に一石を投じそうだ。
 川村さんの調査によると、広瀬はその日(1904年3月27日)、ロシア戦艦レトヴィザンから複数の内火艇の射撃を受けて海中に落ちた。ロシア艦船が発見して引き揚げ、軍外套(がいとう)を着た状態で収容した。頭部以外はほとんど損傷はなかった。遺体は、広瀬がロシア駐在武官のころ交際した令嬢アリアズナの兄(ロシア軍大尉)らが確認。ロシア軍隊の軍旗、葬送曲を伴った完ぺきな栄誉礼をもって厳粛な葬儀が執り行われた。遺体はその後、旅順のロシア海軍墓地に葬られた。納棺の際にはアリアズナから贈られた懐中時計も発見された。
 また、川村さんは、ロシアのテレビ局が製作して2005年に放送したドキュメンタリー番組から、ロシア戦艦上に横たわる広瀬の遺体と葬儀、旅順のロシア海軍墓地、アリアズナの肖像などの写真も確認。この日、その一部を披露した。

 騎士道精神に感銘
 川村さんの話 広瀬は弾丸に当たって消えたと信じていたので驚いた。あの時代は敵に礼を尽くすという騎士道や武士道の精神が機能していたことに感銘した。その後の近代戦争と比べて考えさせられるものがある。また広瀬は武人としてのみならずロシア駐在中、ロシア文学を学ぶなどして日ロの文化交流に特筆すべき役割を果たした。この点に今後光を当ててほしい。

http://www.oita-press.co.jp/localNews/2010_126550257026.html

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