「昭和」という国家




読み:しょうわというこっか
ジャンル:エッセイ

内容
「日本という国の森に、大正末年、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいたのではないでしょうか。その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略、あるいは国内の締めつけ、これらは全部変な、いびつなものでした。魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略も現れ、太平洋戦争も現れた。」司馬遼太郎が、軍部官僚の「統帥権」という“正義の体系”が充満して、国家や社会をふりまわしていた、昭和という“魔法の森の時代”を、骨身に軋むような想いで「解剖」する。日本のあすをつくるために。

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"「昭和」という国家"のレビュー

(評価:5)
自己をみつめる冷静さ
レビュアー: shiba-ryo
2010-02-23
まず冒頭の言葉が心に響いた。

全司馬作品の根底にある、"歴史への思い"がつづられている。この本を買うかどうか迷った人は、立ち読みでいいので冒頭の第1章を読むといい。これを読んで心を打たれるのであれば本書は必読の一冊だし、逆に何も感じないのであれば続けて読んでもあまり得るものはないと思う。この一冊に限らず全司馬作品に対しても同じことが言えるかもしれない。


本書で扱うテーマは広くて深いが、個人的には昭和期を中心に語られた日本人論、または日本国論という印象を受けた。
その点で、本書と「『明治』という国家」は双璧を成しているイメージがある。

「明治...」が、長所・成功から見る日本人論だとしたら、本書は短所・失敗から語る日本人論だと思う。(短所という生やさしいものでなく、欠陥、汚点などといったほうが正確かもしれない)


本書で語られる日本人の短所や失敗はいくつかあるが、中でも"リアリズムの欠如"が一番おそろしく感じられた。

日露戦争後謙虚さを失い、ペーパーテストで生み出された秀才官僚たちが統帥権をふりかざして日本を占領する。その過程でリアリズムが抜け落ち、自己肥大化した軍部が太平洋戦争を進行する。
部分的なものだが、この過程の描写は重苦しく、読んでいて暗い気分になる。

しかも恐ろしいことに、2010年現在、日本ではリアリズムゼロのマニフェストで政権を獲得した鳩山民主党が現在進行形で日本を動かしており、司馬遼太郎の指摘する日本の欠陥がそのまま政治の舞台で現実となってしまっている。

ただその政権も既に化けの皮がはがれ、支持を失い始めている。司馬遼太郎も「太平洋戦争のようなことは二度と起こらない」と言ってはいるが、やはり日本人はその精神の奥底に狂騒という持病を抱えているのかと思うと、決して安心できないと感じた。


本書を読んで強く感じたのは、自分も含めた日本人に必要なのは"冷静さ"を身につけること。自己、自国、自民族、さらに他者、他国、他民族を客観視できる冷静さ。それを次代の日本人が身につけることを、司馬遼太郎も切に願っていたと思う。


昭和初期は日本人にとって重く苦しい記憶で、司馬遼太郎自身も「昭和は小説にはできない」と言っているくらい重いが、いつまでも目を反らさずに、冷静に向き合わなくてはいけない時期が、そろそろ来ているような気がする。

それを乗り越えた時、ようやく日本も成熟した近代国家になれるのだと思う。司馬遼太郎はそれを常に願っていて、今も泉下でそれを見守っているのではないか、と思う。


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