人間の集団について ベトナムから考える
読み:にんげんのしゅうだんについて
ジャンル:紀行文
内容
鋭い史観による独特の発想と、優しい心に映った内戦下のベトナムの姿――。複雑な国際関係と政治の力学について、善意の知識人が誰一人として言及しなかった深い洞察がここにある。 南ベトナム各地を歩き、直接眼にふれたナマの感覚から、人間そのものの問題に切りこむ、知的な刺激力に満ちた「第一級の思想書」(桑原武夫)である。
印象に残った一節
・集団のもつ正義が強烈であればあるほど人間は「食べて、寝て、愛する」という素朴な幸福から遠ざかるものであるらしい。
・ベトナム人の抗戦力のつよさは、ひとつには輪廻転生を信じていることにもよる。
「今生は苦が多いが、しかし自分は布施などをして善業も積んでいるから、来世はきっといい運の人間にうまれかわるにちがいない」
ということを、雑談のあいだにもよく聞かされた。
・「私がこの世でおそれているものは何もない。ただ仏さまだけがおそろしい」
ということを、サイゴン大学の女子学生の口からきかされたときは、私は骨の痛むほどの感動を覚えた。ベトナム人の精神の世界には、三界六道に死んでは生まれ、生まれては死に、生と死が轟々と旋回してかぎりもなく継続してゆくという古代インドの生命思想が、ぎらぎらと生きているのである。
・アメリカの大統領が、かつて世界最強の騎馬軍システムにあおられたチンギス汗とまったく脳髄の異なる人間であるといえば、医学的なうそになる。さらにはチンギス汗が八百年前の人間であり、アメリカ大統領は現代人でしかもチンギス汗とちがって大学を出ている、というのは、われわれが終始もっている歴史時間についての錯覚である。人間が政治の面で歴史時代より利口になったというのは、ほんのわずかな部分でしかない。
・ベトナム人に、何万人が一つ目的で結束するということをおしえたのはソンコイ川であった。その結束の核としてこの民族に危機意識の伝統をもたせたのも大氾濫をおこしやすいソンコイ川であった。さらには何万人が力をあわせれば天災にも勝つことができるという集団の効果を教えたのもこの川である。この性格とこの訓練は、外敵の襲来に際して役立った。史上、何度かの外敵の襲来に対し、これを押しかえしてつねに奇跡のように勝ったのも、ソンコイ川がきたえた民族性と団結的性格と集団行動の機能性というものである。
・国家の体制は、その国が与えられた条件にもっともよく適うものがいい。アジアの後進地帯における共産主義というのは、すでにロシアという後進国において実験ずみのように、産業を国家が哺育するという形式としてはじつに便利なものなのである。それに、スターリンが発明した民族主義や祖国主義というものが、産業的にも脾弱で生活的にも貧困なその民族の情念をあおり、大いに情緒を結束させて社会を組みあげさせるという点でこれほど便利な形式はない。
・ベトナムは懐かしい。
一度そこに滞留したひとはたれもがいう。私もこの稿を書きおえるにあたって、あふれるような感じで、それをおもっている。それはちょうど、野末で、自分の知らなかった親類の家を見つけたような気持に似ている。いつかまた帰れるという、たとえそういうことが無いにせよ、その思いを持つだけで気持が救われるという、そんなひとびとのいる国である。
その国が、とめどもない内戦のなかにある。そのことがあるだけに、外から見ている者としては一層かれらへの思いのたけがつのるのかもしれないが、これ以上はそれに触れない。触れればもはやきりがなく、ベトナムでの問題は人間の集団を考える上で、きりのない怖ろしさをもっているようである。









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